土曜日はお休みを頂いて申し訳ありませんでした。
先週の金曜の夜から福島へ向かい、
土・日に行われたFOR座REST大学というイベントに参加してきました。
こうして日記を書き始めたものの、
この2日間のことは実は私の中ではまだ消化しきれていない。
が、考えてみたらそんなに簡単に消化ができるわけなどないのだ。
消化はおろか、咀嚼すらまだしきれていないのだから。
だからあの場に居合わせた私は、ずっとずっと咀嚼しきれないものを
ずっとずっとしつこく咀嚼し続けるつもり。
そしてハシクレだろうと文章を書くことを生業としている者として、
少しずつでも自分なりに消化したことを発信しなければ。
とにもかくにも今年、このFOR座REST大学を開催して下さった
主催者の皆さん、スタッフの皆さんに心から感謝を。
本当に素晴らしい時間をありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。
カップを握りしめてブースにいらして下さった方、
ふらりと立ち寄って下さった方。
コーヒーを飲んで下さった皆さま、
ありがとうございました。
あの2日間は、ただ楽しいだけの薄っぺらい時間などではなかった。
濃密で、今思い返してみても泣けてくるほどの愛おしい時間だった。
楽しい、寂しい、嬉しい、悲しい、切なさや愛おしさ。
怒りと喜び。おかしさとやるせなさ。
ものごとは表面に見えるものだけではなく、
その裏側や奥底にはいろんな感情や事情などがないまぜになっている。
だからこそ一瞬の光が美しく見えたりするのでしょう。
かたちはなくても何かが強く響いてくるのでしょう。
そういう時間でした。
簡単に答えなんか出るわけがないのだけれど、
だからこそずっと考え続けなければならないのだと思います。
福島のこと、放射能汚染のこと、原発のこと、日々の暮らしのこと。
こどもたちのこと。やっぱりどれも他人事じゃない。
私自身、もっともっと知ることから始めなければと。
そして考えたことをただ闇雲に声高に叫ぶのではなく、
まずはその小さな声をシェア(シェアリング)していけたら。
これはこの2日間で学んだこと。
そこで答えを出さなくていいし、話がひとつにまとまらなくてもいい。
ただ、意見が違ったからといって決裂するのではなく、共存することを
お互いが認められるように耳を傾けること。
東京に戻って来て、あっという間に東京の早い時間の流れに
のまれながらも、福島の景色を頭に思い浮かべています。
この冬は雪が多かったようで、しかもついこの間も吹雪いて。
吾妻小富士はいつもなら今頃くぼみに浮かぶウサギに似たかたちが
山全体が雪に覆われてまだ見ることができませんでした。
が、オオイヌノフグリは梨畑に青い小さな花を咲かせ、梨や桃の枝先には
ふくらんだ蕾が。
実際の距離は離れているかもしれないけれど、近くにいるつもりでいます。
笑顔で過ごせる日が一日でも多くありますように。