立秋の日に

猛暑が続いていましたが、立秋を境に
吹く風にほんのわずかですが秋の気配を感じるような気がします。
暦が教えてくれる季節の繊細なうつろい。
素晴らしいことだなぁ。
in-kyoの日記にお店の情報以外の私的なことを書くのは
今に始まったことではないのですが…。
8月8日 立秋の日。末広がりの大安吉日。AM8:00(これは偶然)に
入籍を致しました。
土曜日でしたのでお役所の守衛さんが
「おめでとうございます」と笑顔で届け出を受理して下さいました。
お世話になっている方々に、本来ならば直接お会いして
きちんとしたかたちでご報告すべきところを
失礼を承知の上、この場をお借りしてご報告させて頂きます。
今後は入籍後の「長谷川ちえ」の名前でお仕事もさせて頂く予定です。
空を見上げて月がきれいだねとか、
好きなお料理を食べて「美味しいね」と言って、
同じことで笑い合ったり、ときには涙したりとか…。
日々の暮らしはそんなきれいなことばかりではないかもしれないけれど、
でもそんな他愛もないような、ささやかな幸せを忘れず大切にしながら
分かち合っていこうと思います。
そこから生まれる小さな幸せの輪が
どんどん広がっていきますようにと願って。
今後ともどうぞ変わらぬおつきあいを
よろしくお願い申し上げます。
in-kyo 店主 長谷川ちえ

本日最終日

今日で曽田耕さんの個展「100bags」が終了致しました。
期間中猛暑の中、足を運んで下さった皆様。
本当に本当にありがとうございました。
曽田さんのバッグ。
年月とともに味わいが出て愛着が増しますよ。
季節を問わず、オールシーズン楽しんで頂けたら嬉しいです。
曽田さんは来週8/15,16,17と、新潟のエフスタイルショールームで
100bagsを行います。
エフスタイルとの限定コラボ作品もお披露目となるようですので
お近くの方はこの機会にぜひ。
また、9/16~27には東京・千石にある八百コーヒー店にて
絵と絵についての随筆展が行われます。
こちらも曽田さんの新たな面、靴やバッグにも通じる面が見えて面白いです。ぜひ!
in-kyoには9月4日から始まるユヌプラス展の印刷UPしたDMが届きました。
店頭での配布&これから郵送致しますので少々お待ち下さい。
どうぞお楽しみに。

本日4日目

曽田耕さんの展示、本日4日目。
「暑いですねぇ」の言葉がご挨拶となっているここ数週間。
展示は明日が最終日となりますが、最終日も19時まで営業しております!
熱中症が心配ですので少し陽が傾いてからゆっくりご来店頂くのもおすすめです。
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今日は合間でひとりコーヒータイム。
バッグに混ざってこんなかわいらしいアイテムもあるんです。
コーヒーカップをイメージして作ったという小物入れ。
小さいがま口タイプは両手付きですが。
何を入れるか?どう使うかはその人次第!
旅立っていったモノたちがその後どう使われているか?
を見てみたい気もします。
使っている人によってバッグが(靴もですけど)
変化していく様子に面白みを感じるのも曽田さんのバッグならではかなと。
夏休みでお子さんとご一緒にいらっしゃる方も多いです。
お子さんも楽しそうに手に取ってくれるのが嬉しいです。
夏休みの自由研究のヒントになるかな?

5日まで開催中!

ここ数日猛暑日が続いておりますが
皆さまお変わりありませんでしょうか?
8/1からスタートしました曽田耕さんの個展「100bags」
初日は蔵前界隈の月イチイベントの日。
暑い中ご来店下さった皆様、本当にありがとうございました。
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曽田さんの展示はご覧になっている方がみなさん笑顔なんですよね。
ちょっと「クスッ」と笑ってしまうような仕掛け?
これはどうなっているんだろう?と首をひねるようにして想像する作業工程。
使うことでそのおもしろさやワクワク感を共有しているようなところが
あるのかもしれません。
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今回のDMになっているバッグ「Has」は
肌触りがとてもなめらかな羊の革を使ったもの。イタリア製の革だそうです。
羊1頭分の革の半分を使って作られたバッグ。
ハギレを出すこと無く、全てを使い切っているそうです。
というのもその発想が先というよりは、曽田さんは常に
「面白いものが作れそうだから」が先なのです。
「結果、無駄が出ないバッグが出来上がった」ようです。
おもしろいなぁ。
力まず何でもまずは楽しんでみよう!ということを
いつも曽田さんには教わっているような気がします。
5日までの期間中は無休で営業していますので(12:00−19:00)
お仕事帰りにでもぜひふらりとお立ち寄りください。

土用干し

少し出遅れたかなと思いつつ、
お店で仕込んだ梅干しを今日から土用干し。
と思ったら夕方に通り雨。
表を歩くおじさんが傘をさしてくれていたお陰で
すぐに気がつくことができた。見知らぬおじさんありがとう。
梅干し仕事は作業は簡単なのに、梅の時期とこの土用干しの
頃合いをみるのに気を揉む。
祖母は私にとって気象予報士で、空の様子が怪しいときなどは
天気予報よりもよくあたっていた。
梅干しづくりも趣味とか、大騒ぎしてやるものではなく、
時期がやってきたらやるのが当たり前の、
季節の仕事という感じで、淡々とやっていた。
そんなおばあちゃんに、わたしは、なりたい(と、宮沢賢治風に)
ま、まだまだ私は大騒ぎしながらあたふたとやることになるだろうけど、
他のことにしてみても、今から始めてもこれから先あと40年続けたら
それなりのキャリアになるわけだし。淡々と続けてみよう。
雑誌「つるとはな」2号に松野屋・松野社長のお母さまが出ていらっしゃいます。
私も大尊敬しているおばあちゃま。水泳も続けていらっしゃるし、編み物も
クラシックも日々の暮らしも。会話だってユーモアも品もある。
あぁしゃーんとして頑張らなきゃな、楽しまなきゃなと
他の方々の記事を読んでも思わせてくれる励まされる雑誌。
まだ読んでいない!という方はおすすめですよ。
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と、唐突ですが
明日は1日から始まる曽田耕さんの展示設営のためにお休みを頂きます。
小さいがま口から大きなバッグまで実に100点のバッグが並ぶ「100bags」展
in-kyoの店内に、曽田さんのあのアトリエのエッセンスをどこか感じてもらえたら…と
また無理を言って、アトリエにある椅子やら何やら色々お借りしての設営です。
乞うご期待!
今回のDM写真の撮影もカワウソの大沼ショージ氏。
1日はご近所カワウソでなんと!曽田さんのバッグづくりのワークショップも
行っております。作る楽しみ、使う楽しみ。曽田さんの作るものはバッグでも
靴でも「楽しい」がキーワードになっていると思います。
展示も楽しんで頂けたら嬉しいです。

浅草物語

月曜日。
大事な会食があり、せっかくだからと
ご近所だけどまだ行ったことのなかった
鰻の「前川」を予約してお昼ご飯。
ここは池波正太郎が愛した名店として度々紹介されている。
駒形橋と隅田川がお座敷から見渡せる絶好のロケーション。
フワフワに蒸された鰻は上品で、肝吸もしっかり出汁が効いたお江戸味。
一方、地元成田のカリッと炭で焼かれて甘しょっぱなタレもやっぱり好き。
どちらもそれぞれの美味しさ。
なんて、食事をしている最中は少々緊張していてしっかり味わう余裕は
あまりなかったのだけれど。
浅草観光案内なども考えたものの、暑さが厳しかったので食事のみで
会は和やかなうちに無事お開き。ほんの数時間のことなのに
ひと仕事終えた後にはどーっと疲れが出てin-kyoでしばし休憩。
頭のすみっこには、映画の「東京物語」の映像がなぜか流れていた。
夕方からは思いがけないメンバー4人でごはん。
どこへ行こうか迷って、久々大衆居酒屋「鮒忠」にしよう!と
お店の前まで行くと閉店のあいさつの貼紙。
ここのところの浅草界隈の変化はめまぐるしい。
東京オリンピックに向けてなんだろうか。
呆然としてしばし立ち尽くし、ションボリしながら
当てなく歩いて思いつきで浅草松屋のビアガーデンへ行くことに。
いつもとは違う目線で見るスカイツリーとアサヒビールのビルヂング。
ションボリからだんだんウカれて2軒目へ。
2軒目はあらたに友人が合流し、さらに高い場所へ登って
キラキラのアーバンな夜景を見ながら一杯。
食べたり飲んだりしかしていないのに、
まるでシナリオでもあったかのような不思議で可笑しな浅草での一日。
いつも近くで過ごしているのに観光でもしたみたいだった。
お江戸の時代の人たちは、大きな変化に対して
持ち前の洒落っ気というユーモアで、
しなやかに、軽やかに、たくましく
時代を乗り越えていったのだろうか。
そんなことを酔ってボンヤリとした頭で考えた夜。

今年も

昨日は隅田川の花火大会でした。
in-kyoは夕方から通行禁止区域となっていたため、
16時頃で閉店させて頂きました。申し訳ございませんでした。
ここ数年は、家族も同然のご近所事務所で毎年この花火を見させて頂いている。
みんなで持ち寄りゴハンを作って、ワイワイ乾杯して。
ほぼ真下のような位置から首が痛くなるくらいずっとずっと見上げて。
夜空に美しい大輪の花を咲かせ、一瞬一瞬で変わっていく空の様子に
毎年その場から動けなくなるくらい魅了されている。
打ち上げるときの音と、衝撃のような振動、風に乗ってくる火薬の匂いも全部含めて
花火をまるごと体全体で受け止める。
この日のこの1時間ほどのために1年をかけている人たちの
心意気が伝わってくるからなのか、今年も涙が勝手にあふれてきた。
振り返れば花火の光に照らされたみんなの笑顔。
今年も同じ場所に人が集い、一緒に時間を過ごせた幸せ。
それも涙の理由のひとつかもしれないな。
花火が終わって花火師の人たちに向かって「ありがとーーーー!」
と叫ぶのも毎年のこと。
しつこい酔っぱらいたちに花火師の方々が手持ち花火を振りながら
拡声器でお礼の言葉を言ってくれるのも恒例。
こちらこそありがとう。
好きな場所はたくさんあるけれど、他のどこにもない魅力が
ここにはちゃーんある。お江戸駒形。
一瞬一瞬で過ぎ去っていくいろんな時間の積み重ねも
人との出会いもいってみれば花火みたいなものなんだろうな。

嬉しかったこと

お店をやっていると、もちろん大変なことも多いのですが
その分嬉しいことはその倍以上にたくさんあります。
そのひとつがいろんな出会い。
モノもそうだし、土地、そして何より人。
愛媛に暮らす方から数ヶ月前にお便りを頂きました。
そこには愛媛の手仕事による手漉き和紙や砥部焼の器、
箒、注連飾りなどを丁寧に取材し、写真とともに紹介した
冊子(取材も撮影も全部ご自身で何度も通って制作したそうです)が
手漉き和紙の便せんのお手紙に添えられていました。
in-kyoでは砥部焼の器は中田窯さんのものを扱っているものの、
まだ訪れたことのない愛媛県。
そこに紹介されていたものは興味を引くものばかり。
たぶんそれはその手紙を送って下さった方の一本筋の通ったモノを選ぶ視点が
感じられたからだと思います。今すぐにとはいかなくとも、
愛媛に、そしてこの方にいつかぜひとも会ってみたい…
と、まずはお返事のお手紙を書こうとしているまさにその日に
なんとその方がお店に来て下さったのです。
ご本人は作り手ではなく、地元で今も作り続けられている
「愛媛の手仕事の良いもの」を伝える人。
(手仕事だけでなく愛媛の良さを伝えようとしている人)
初めてお会いしたのに嬉しくなってしまってずいぶんと長くお話を
させて頂きました。
その後のやりとりはお手紙だったり、お電話だったり、ときにはメールも。
ゆっくりしたキャッチボールが私には本当に有り難い。
近々、少しずつではありますが、愛媛のものがin-kyoにやってきます。
どうぞお楽しみに。
そうして先日は竹の篭や笊を作っている女性の方からお電話を頂き、
今月頭の雨の中、高知からたくさんの篭や笊を持ってin-kyoに来て下さいました。
軽いとはいえ、かたちの違う篭や笊を持って来るとなると大荷物。
しかも雨は降っているし、窓の外を歩いている様子ですぐに気がつきました。
色々見せて頂いた後、いつでもそうなのですがやはりまずは使ってみないとと、
気に入った笊を購入させて頂きました。本当だったらサイズの合う棚があったら
引き出し代わりに使えそうな素敵な篭があったのでそれが欲しかったのですが、
そこはグッと堪えてまずは笊。
洗い終えて仕舞う前に器を少し乾かしておくのにちょうど良さそう。
しかも作りがしっかりしていてかなり丈夫なのです。
その後、お話をしているとなんと共通友人・知人の多いことが発覚。
はじめてお会いする方でも、縁のある方は案外とそんなものかもしれません。
篭や笊はまだまだ先のお話になるかもしれませんが
この先、縁が続くと良いなと思わせてくれる方でした。
どちらの方も距離感というのか、順番というか段階というのか。
それがとても気持ちの良い方でした。
それはもうマニュアルのようなものがある訳でもないし、
人とのやり取りの間合いとしかいえないのだけれど、
対等に何かを一緒につくっていくような関係でありたいといつも思うのです。
作り手(伝え手)の方にお店を見て頂くというのも大事なことだと思うし。
遠いところをわざわざ足を運んで下さって本当に本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
時間をかけるだけが良いことではないかもしれないけれど、
急いだり焦ったり、急なことだったりがあまり上手にできないので
自分のペースでできることをできる範囲でという毎日です。

少しばかり

昨日の日記の反省。
品の無い政治家のおじさんたちと言ってしまった。
ごめんなさい。
相手を悪くいうよりも自分の暮らしを楽しく、
必死で、ときには髪の毛振り乱すようなことはあっても、
品を求めたい。保ちたい。
そうする気持ちのあり様が暮らしを美しくすると思うから。
まず自分の足元から。
責めることよりもシアワセの和を広げることを考えようと思います。

シアワセに生きるために

そう。
シアワセに生きるために人は生きている。
だから戦争なんていらない。
戦争に関わるだなんて考え微塵も必要としていない。
安全保障関連法案の強行採決????
まったくもってこの国が進む道がどこへ行こうとしているのか
さっぱり理解ができない。お金?そのお金で人が救えるのか???
戦争などで得たもので救われなどしたくない。
「幸せ」というものをどう捉えているのか?
そこに交わる道はないかのように思える。
先日のFOR座RESTのようなあの時間や人、場が
幸せの象徴だと思うのだが。
目の前の、身近な、日々の、小さくもかけがえのないシアワセを
大切に生きていく。ただそれだけを守りたいだけなのに。
お陰で心の中は今日の空のように不安定な一日。
こんなマイナスのスパイラルに巻き込まれているヒマは
私にはないのだよ。
品の無い政治家のおじさんたちよ。