4年という月日

書いては消し、書いては消しを繰り返した3.11の日記。
疲れが溜まっていた上に、神経が立っていたここ数日。
定休日の今日になってやっと落ち着いてきたのでやはり書きとめておこうかと。
休むのも大事なことですね。
いつものようにお店に行き、開店の準備。
穏やかな陽射しに誘われるように花壇の植物たちが芽吹き始めて
どこからか漂う沈丁花の香りが花をかすめる。
空気はまだ冷たいというのに春の気配に満ちている。
4年前もそんな日だったということを昨日のことのように思い出す。
お店の掃除を終えて、看板を表に出してお店を開ける。
そう。いつものように。穏やかな春の陽射しのような心地で。
「いつものように」と意識して自分に言い聞かせている時点で
どこかピリピリと張りつめている自分に気づいてハッとした。
私がピリピリしたところで何の意味があるのだろう?
それよりも何よりも自分が気づかなければならないことは、
「今」があるということ。その今がシアワセであることに
感謝しなければならないということ。
ありがとう。そして祈ること。
それだけだ。それを日々積み重ることができればいい。
一緒にゴハンを食べて美味しいねと言い合えたり、
キレイなものを見て美しいと感動を分かち合えたり、泣いたり笑ったり。
そうした時間を共にできる人たちがいる。
こんなにもシンプルなことなのになぁ。
晩ごはんは家族のような友人と一緒に食事をして、話をして。
離れて暮らす大事な人とも朝も夜も電話で話をすることができた。
しあわせは今ここにある。そのことをかみしめよう。
4年経ったからとか、その月日がとか3.11だからとかではなく。