天気予報通り

昨日の天気からは想像もできなかったけれど
天気予報通り、それほど寒くはなかったというのに
お昼前から雪が降り始めた。
雨水。
雪が雨に変わり氷が溶け出す頃。
暦通りのような空。
みぞれまじりの雪も夕方には雨に変わりました。
思い返せば1年前の今日は
蔵前・駒形でのin-kyo営業最終日でした。
開店前の時間を使って、オカズデザインの吉岡夫妻に
心の芯からあたたまるような優しい味わいのスープとパンを用意して頂き、
食事が終わってからは青木隼人さんのギター演奏会
「はじまりの朝」
昨年の天気予報も生憎の雨となっていたのだけれど、
この午前中は奇跡のように晴れ間がのぞき、
青木さんの演奏が終わると同時に雲が出て雨が降り始めました。
まるで夢から覚めたかのように。
その後の時間はいつものように通常営業。
淡々と、変わりなく、この先も同じようにという気持ちで…
の予定だったのだけれど、徳島からははるばるこの日のために(前日も)
aalto coffeeの庄野さんが来てずっとコーヒーを入れて下さって
昼間にはサプライズの飛び入りで山田稔明さんのミニライヴも。
閉店の時間が近づくと、友人・知人、いつも来て下さるお客様が
次々と集まって、シャッポジージョ2人の三線ライヴが開催。
何の準備も企画もしていなかったのに、あの場にいらしたみなさんに
会ってごあいさつをすることができました。
あのときのお礼がまだまだどころか、一生かかっても返すことなんて
できないくらいまわりのみんなに助けられた1年でした。
それこそ夢のように、でも淡くなどではなく濃く深く、鮮やかな時間。
あれから早いもので1年。
少しずつここ三春でも積み木をひとつづつ積み重ねるように
in-kyoというかたちを組み立てて。
モノの行き来だけではなく、人が集まりたくなるような
「場」をここでもつくっていこうと思います。
in-kyoをはじめて10年目。三春でのin-kyo2年目を前に。

かたちにすること

aalto coffee庄野さんよりコーヒー豆の追加納品の
荷物が届く。
そして今年に入ってすぐにお願いしていたブレンドのサンプルも。
届くなり早々に封を開けてドリップ。
ひやぁいい香り。
豆のままの状態、挽いたとき、そしてドリップしてから…
コーヒー豆はどれもそうだけれど、
このそれぞれの状態の香りが楽しめるのが嬉しい。
完成次第お知らせしますので今しばらくお待ち下さい。
こうやって思いついても自分ひとりではできないことを
かたちにしてくれる人がいて、またそれを届けた誰かが
喜んでくれる。そのことを想像するだけでワクワクする。
シアワセの連鎖だ。
始まりは小さな輪でもいつかそれは大きな輪へと
広がっていくことをイメージして。
20170219-朝のコーヒー.JPG
昨日、お客様から「お店のコンセプトは何ですか?」と
聞かれてまるで取材のようだなと思い、少しびっくりした。
たぶんあれこれいろんなものを扱っているから
コンセプトも無くバラバラのように受け取られたのかもしれません。
ホームページのトップに記載してある通り
「月日をともに積み重ねたくなるような器や生活道具を」
といった回答をしたけれど、今日同じ質問をされたとしたら
「それがあることでワクワクするもの」
「楽しかったり、美味しかったり、嬉しかったり。心豊かになるもの。
暮らしの中で使い続けることでシアワセを感じるもの」と付け加えたい。
一見バラバラに見えて、私の中でそれらは一本の線上に並んでいる。
なんともシンプル。
さて。
先日のほうれんそうのじゅうねんよごし。
美味しさのヒケツを師匠に聞くとなんとお味噌!
お味噌とお醤油少しとお砂糖(たぶん師匠は三温糖)だそう。
師匠のお惣菜にはたびたびお味噌が隠し味に使われている。
そこがミソ!

朝の光と夜と

先日から店内に生けた山茱萸の蕾が花開き
小さな黄色がかわいらしく咲いています。
開店前のやわらかな朝陽も、
閉店後のライトに照らされた様子も
どちらもまた良し。
開店準備と閉店後の片付けの合間の光。
今日もお疲れ様でした。
20170218-山茱萸 夜.JPG

じゅうねん

朝いらしたはずの師匠が、夕方再びご来店。
手にはまた美味しそうなお惣菜が…
「じゅうねん」
を使ったお惣菜2品。
じゅうねんとは荏胡麻のこと。
福島ではじゅうねんと呼ばれ、「食べれば十年長生きする」とも
言われる栄養価の高い食品。
20170218-じゅうねん.JPG
ひとつはごぼうのきんぴらのじゅうねん和え。
こちらはじゅうねんをそのままから煎りして和えたもの。
プチプチとした食感と香ばしさがたまらない。
もうひとつはほうれん草のじゅうねんよごし。
すり鉢で擂ったじゅうねんがたっぷり。
深いコクと香りの高さ!味付けはお醤油と砂糖をほんの少し
だと思うけれど、師匠に教えてもらおう。
独特の味わいはごはんが進む一品。
夫君と思わず「美味しいぃぃ!」と声に出したほど。
いつだったかどこかの道の駅でじゅうねんを買って1〜2度使った切り。
胡麻が好きで普段は白・黒料理によって使い分けられるように
常備しているので、じゅうねんは
なかなか食卓に上らなかったのだけどまったく別物。
見直して使い分けして楽しまなければソンですね。
本日も本当に本当にごちそうさまでした。
ちなみにそれ以外の今夜のメニューは
帰りが早かったのでついつい作りすぎ…
・山芋のソテー
・玉ねぎのひたすら炒め(たなかれいこさんレシピ)
・あずきのオイルと醤油和え(たなかれいこさんレシピ)
・たらこのせ蒸し豆腐(渡辺有子さんレシピ)
・野菜ときのこの具沢山お味噌汁
晩酌に仁井田本家の自然酒燗誂を。
たらこ以外野菜だけだったけれど
お腹いっぱいの晩ご飯。
だいたい作り過ぎた日のおかずは翌日のお弁当へ。
食材が上手くまわっているこの頃。

春よ

どうも私は蕾に弱い。
家からお店までの途中にあるお宅の庭の木蓮。
先日まで降っていた雪に時折覆われながらも
産毛をまとった姿を目にするようになった。
20170214-さんしゅゆ.JPG
そしてこの枝ものは山茱萸(さんしゅゆ)という植物。
日本名では春黄金花(はるこがねばな)と呼ぶそう。
黄色い花びらの先が蕾の頭から顔を出し、
外の様子を伺うように、蕾どうしで会話でもするかのように、
昨日よりも今日はまた少し黄色が目立ってきている。
はじめは満作だと思って2軒隣りのお花屋さんで買ったのだけれど
どうも違うようなので名前を教えて頂いたら山茱萸と。
満作もまだまだ外が寒い頃でも
春の訪れを知らせる花として今頃見かける。
名前の由来は
東北の言葉で「まんず咲く」からきているとか、きていないとか。
漢字で書く 満ちる を 作る という文字もいい。
春待ち気分。

温泉マルシェ

来月3/4(土)、5(日)は三春のin-kyoはお休みを頂いて
ワークショップのために宮城県・鳴子温泉へ出張を致します。
このワークショップの企画をして下さったのが
今でも湯治場のある鳴子温泉郷で里と山をむすぶ
「さとのわ」を主宰する鈴木美樹さん。
その鈴木美樹さんがはるばる三春まで足を運んで下さいました。
in-kyoが蔵前にあった頃には季節ごとに
鳴子から楽しい企画と共に出張して下さり、
これまでもたくさんの出会いを作って下さいました。
今回は朗読家の岡安圭子さんとともにわたくしが鳴子へ。
二人がナビゲーターとなって「文字と言葉と音」をテーマに
温泉に入って身体がゆるむのと同じように
心と五感をほぐすように、参加者のみなさんと
リラックスした時間をご一緒できたらと思っています。
(実際に温泉も楽しむことができます)
今日は三春のin-kyoでコーヒーを飲みながら
近況の報告と当日の打ち合わせを。
私にとってもはじめてとなるワークショップですが
これから何度か回を重ねて、より深いものとなっていくように
していきたいと思っています。
宿泊場所となる鳴子の「宿みやま本館」も素晴らしいお宿です。
ぬるめでやさしいお湯と(でもじわりじわりあたためてくれて
その後はぽかぽか)ゆったりとした静かな空間は
日頃の疲れをきっとほぐしてくれると思います。
ご興味がある方はさとのわのHPをぜひご覧下さい。
今回は日程が合わないけれど…という方も
季節ごとに色々楽しい企画が行われているのでぜひ。

おしゃべり

昨日、今日と週末な上に世の中は連休。
団地の朝も週末はみなさんお休みなのかいつも静か。
今朝も空は青空が顔を覗かせているというのに
粉雪が朝陽に照らされながらふわりふわりと舞っていた。
というわけで道路も凍って気温も低いためかお店もシ〜ン。困ったな。苦笑。
ワンコ?は朝早くからお出かけしていたんだけど。↓
20170212-足あと.JPG
こんな日でも(大抵どんな日でも)師匠たちは日課のウォーキングを欠かさない。
今日もおもしろおかしく時事問題やバラエティ番組などのおしゃべりをして、
コーヒーを飲んで帰って行かれました。笑った、笑った。
午後にはお店によくいらっしゃるお客様。
縫い物、編み物、石けんづくり、そして書道などなど。
自営業をされているから普段はそのお仕事もあるのに
家事もこなし、合間には細々とご自分の好きなことをされていて
おしゃれだしとても素敵な方なのです。
その方のお話を伺うのが好きでここでもあれこれおしゃべり。
なんだかわからないけれどムクムクとやる気がわいてくる。
おしゃべりって大事だなぁ。
師匠がおっしゃってました。
「あの世にはお金も何も持って行けないんだから自分のお葬式代だけ残して
後は健康で楽しく自由に生きんのよ!」と。
おしゃべりの合間にこうした名言が。メモ、メモ。

民報サロン 第二回

今日の朝刊、民報サロンにて
第二回目が掲載されました。
店名の由来ともなっていて、
来週には解体されてしまう隠居についてのお話を。
作業の疲れがじわりじわりと身体に来ているところですが、
こうして文章にも残すことができて
良かったと思っています。
こんな機会を与えて下さった方々に感謝です。
隠居とは別に母屋の方の荷物は、
あれもこれも残しておきたいという両親の気持ちも
くんであげたかったけれど、そうするにはあまりにも大量すぎた。
浅い眠りの中で、それらの荷物が襲いかかってくるようで
明け方目が覚めてしばらく眠れなくなってしまった。
断捨離という言葉自体はあまり好きではないのだけれど、
人ひとり、夫婦二人が必要とする程よい荷物の量というものって
家の大小に関わらず、ある程度決まって来るものだと思う。
高齢になると、モノを処分することで
記憶までもがそれごと葬りさられてしまうと感じる恐怖というものもあるのかもしれない。
モノが消えても本当は記憶は残るのに。
自分の荷物ではない分、なんだか切なかった。
自分だったら。
まだまだなんて思っていてもきっとすぐにやってくる老後。
その頃には自分の中の引き出しは増やしつつ
荷物は身軽に小ざっぱりと暮らしたい。

これから先

水曜日とは打って変わっての昨日の天気。
隠居部屋の作業を終えて、昨日は母屋の片付けと、
改築が終わるまで近くのアパートで仮住まいをする両親の引越作業の手伝い。
引越業者から梱包作業のためのスタッフの方が
一人派遣され、朝から黙々と作業。
母は連日の片付けなどの体力と精神的な疲労が重なって
8日には熱を出してしまった。
そりゃそうだ。何十年も同じ場所で暮らして
びっくりするくらいたまりにたまった山のような家財道具を
ここ数ヶ月で片付けるのはそう簡単なことではない。
ましてや高齢で体力が衰えているのだから。
一日休んで大根汁も飲んでもらい、幸い早くに熱も下がって
昨日は回復してくれた。
父はというと元来片付けができない上に
もったいないとモノが捨てられないので
作業をまかせることもできず。
2階から階下への運び出しや
力仕事などは夫君がいてくれたお陰で本当に助かった。
作業だけでなく何より気持ちが支えられたことがありがたかった。
私が残していた荷物の整理もあったりで、キリのいいところまで終えるのに
夕方までかかり、関東圏内に雪が降る中を福島へ帰って来ました。
そして今日が引越当日。
あとは荷物を業者の方が来て運び出すだけだから
私がいたところでやることはないのだけれど、
なんだかザワザワと心配性の虫が騒ぐ。
私自身も年齢を重ねて体力が落ちてきているけれど、
それは同時に…いやそれ以上に両親の老化は進んでいる。
千葉の実家へは上野まで新幹線を使えば比較的近いとはいえ、
近所ですぐに様子を見に行ける距離ではない分、やはり気がかりなことが多い。
テレビででもいいから毎日ちょっとでも笑っていて欲しい。
夏には新しく建つ家を楽しみにしてそこで快適に過ごして欲しい。
病気などせずに健やかでいてくれたら。
多くは望まないからただただそう願うばかり。

7日の夜から

7日の夜から夫君の運転する車で
千葉の実家へ行っておりました。
以前にもこの日記に少し書きましたが
実家の建て替えにより、祖母が寝起きをしていた
隠居部屋と母屋が来週には共に取り壊されることになりました。
私に何ができるというのでもないのだけれど、
縁あって古材のレスキューをして頂けることに。
そして何十年と暮らした家財道具の山を片付けることに
ヘトヘトになっている母を手伝いにいざ。
色々と用事を済ませてから三春を出発。
実家の比較的近くにあるスーパー銭湯(でも温泉)で
入浴を済ませて7日の夜中に到着。
8日はまるで春がやってきたかのような穏やかな晴れ日。
午前中にはリビルディングセンタージャパンの東野夫妻と
頼もしい女性スタッフの涼子さんの3人が諏訪から2トントラックで到着。
そして彼らを繋いでくれたお米農家の山崎夫妻も加わって、
われらと7人で隠居部屋の古材レスキュー作業を開始。
リビセンの皆さんはさすが手際がよくて仕事ぶりに無駄が無い。
そして何より隠居のことを褒めちぎってくれ、最後には大事に大事に
「お疲れさま」と労いの言葉をかけるかのように掃除までしてくれて。
本当に本当に気持ちよく隠居の素材たちをレスキューして下さいました。
山崎夫妻もさすがお米農家で鍛えた体力と安定感。二人がいる安心感も。
とにかく気づけば私は、何度も何度も「良かった」と口にしていた気がします。
どこかで誰かの役に立って、そして喜んでくれる人が
一人でも多くいることを思うと、寂しさはもちろんあるけれど、
幸せな気持ちで満たされました。
最後に骨組みのようになった(でもしっかりとしていて
どこか堂々と見えた)隠居部屋の縁側に腰掛けて、みんなでお疲れ様の
コーヒーと記念撮影を。
そんな私たちを見下ろすように枝を広げた桜の木。
ポカポカとあたたかかった陽の温もり、古く枯れた板壁や
桟の手触りは忘れない。
まだあまり実感もなくて、振り返るほどの余裕も余韻もないのだけれど
とにかくたくさんのありがとう感じた一日でした。